震災の記憶 その①

震災後いち早く復興に動いた大沢幸広さんのお話をします。震災後半年、一人で漁の準備をしていた大沢さんとは、よく小渕浜で会うようになり、仲良くしてもらっています。

大沢幸広さんは、仲間からは「ゆっち」と呼ばれています。

ゆっちは、夫婦二人で漁に出る両親を手伝いたいと、子供の頃から両親が船に乗り両親の手伝いをしていました。
地元の水産高校を卒業すると、両親の船に乗り仕事を始めましたゆっちでした。自分が船に乗れば母を楽をしてあげられると思ったそうです。
しかし、父は厳しく
「仕事は見て覚えろ!」と仕事を教えてくれなかったそうです。
そんな父と長い間二人で漁師を続けてきました。
晩年父が病気となり船を降りた頃は、少し人を使えるようになっていました。

そして、2011年3月11日東日本大震災が起こりました。
当時、漁で沖にいたゆっちは、仲間からの大きな津波が来るという無線で船を沖へ沖へと走らせたそうです。

そして津波が収まった2日後、変わり果てた小渕浜に戻って来ました。
港は破壊され、港近くにあった家は変わり果てた姿になっていました。

家族を捜すと二人の子供は無事でしたが、両親が行方不明に

すぐ小渕浜の仲間達が、捜索隊を結成しいなくなった人を探してくれました。

数日後、お母さんが、そしてお父さんが見つかりました。
お父さんは病気で目がほとんど見えなかったそうです。
それゆえに、逃げ遅れたんだろうとゆっちは話してくれました。

大事な両親を震災で失ったゆっちでしたが、
「仲間がすぐに捜索隊を結成してくれて両親を見つけてくれた事で、生きたものが頑張っていかなければ」と心に誓ったそうです。

母を見つけてくれたのは、後藤晴人さんでした。
ゆっちは、そんな後藤晴人さんが震災後船を失って困っていた晴人さんに、自分の壊れた船をあげるから山から下ろして直して使えと言ってくれたそうです。
そしてボランティアが集まってゆっちの船を山から引き出しました。
ゆっちは、言っていませんでしたが母を見つけてくれた晴人さんへのお礼だったと僕は思っています。

震災後、ゆっちはワカメ漁、穴子漁をしています。
穴子漁は、小渕浜ではトップの水揚げを誇る漁師です。

そんなゆっちには、嬉しい事がありました。
二人の息子が、「俺もお父さんのような漁師になりたい」と言って、昨年高校を卒業した長男はゆっちの船で働いています。

高校を卒業して両親の手伝いがしたいとすぐ船に乗ったゆっちは、今になっていろんな仕事に興味があるといいます。
「おい(俺)は、漁師しかしらんからな、息子には他で仕事をしてから漁師になればいいのに」と笑って話してくれました。そう話してくれたですが、とても嬉しそうでした。

震災後仮設にいた当時小学生だった息子達に、「何かほしいものある?」って聞くと空気銃と言いました。

「空気銃なんて物騒だね?」と言うと

「夜外に出るとシカがいっぱいいるから対峙する為」と言いました。

小渕浜のある牡鹿半島は、名前の通りシカがたくさんいます。
夜となるとたくさんのシカに会いますが、大人でも少しビビります。

そんな息子達が漁師か僕も嬉しくなりました。

まだまだ未熟な新米漁師ですが、何代も続く小渕魂を受け継いだ漁師の血は息子達に受け継がれて行くことでしょう。
小渕浜の漁師たちの復興への原動力は、後継者がいると言う事だと思います。

先日、ゆっちに誘われて石巻でご飯を食べていると
「ゆっちは、いつも仲良くしてありがとう」いうと
「河野さんは、心の友だからなぁ」と笑って話してくれました。
「嬉しい事言ってくれるね」と僕は答えました。

これからも、ゆっち親子を応援していきたいと思います。

 

facebookグループ「小渕浜通信」

2015年8月13日の記事より