小渕浜ふるさとプロジェクト 〜漁業復興支援〜

現在、募集を休止しています。

俺たちの小渕浜をみんなの小渕浜に

 3月11日の大震災で、私たちは多くのものを失いました。船、漁の道具、養殖の道具や設備、収穫前のワカメや牡蠣、家、そして家族を失った仲間もいます。

 震災直後は漁業を辞めようと思った漁師もいました。しばらくは放心状態でしたが、時間が経つにつれ、やはり海に出たくなるのが漁師。今はほとんどの漁師が港の、漁業の復興を目指して頑張っています。

 そんな私たちに頑張っていこうと思わせてくれたのは、苦しいときに物資の提供や炊き出しを行ってくれた方々や、黙々と真剣な眼差しで復興作業に汗を流してくれたボランティアさんたちの後ろ姿です。

「みんながあれだけ頑張ってくれてるんだから、おれ達もやらねば」

そんな気持ちで動き出し、今では小渕浜の漁師達の表情もだいぶ明るくなりました。

 それでもまだまだ支援が必要な状況です。流された船、漁の道具、漁業倉庫。激甚災害の指定を受け、補助金が出ることになったとはいえ、全てを取り戻せるわけではありません。しかし、これ以上ただ支援をしていただくのは心苦しいとも思っています。

 私たちは漁師ですから、魚介類をお送りすることしかできませんが、みなさんに復興までの小渕浜の様子をお伝えしていこうと思います。ご支援を通じて、小渕浜を身近に、もうひとつの故郷のように感じていただき、いつか一緒にこの小渕浜で復興のお祝いに乾杯ができたらと思っています。そして、その後も私たちを「田舎のアンちゃん、おんちゃんたち」と思ってもらえれば嬉しいです。

 長くなると思いますが、復興までの道のりを一緒に歩んでください。よろしくお願いいたします。

 

俺たちの小渕浜をみんなの小渕浜に。

 

小渕浜ふるさとプロジェクト プロジェクトメンバー一同

復興したら、ご馳走してもらいましょう

 「小渕浜通信」はとても小さな支援活動を支援者の方々に報告するメールマガジンであり、それがそのままこの小さな団体の名前になりました。

 私たちが小渕浜の支援活動を始めたのは4月の終わり。最初は日用品などの物資支援から始まり、その後、小渕実業団と共に流された獅子舞の復活プロジェクトを始め、今では一緒に復興を目指す仲間、友達になっています。

 この半年、本当にたくさんの出会いがありました。小渕浜にも小渕浜通信を通してたくさんのご支援を頂きました。漁師達もまた、数え切れない出会いがありました。本当に有り難いことです。

 小渕浜は本当に面白いところです。都市部で暮らす人たちが忘れてしまったような日本古来の文化が、ひっそりと息づいているところです。そして既に私にとっての「もうひとつの故郷」になりました。それは本当に何物にも代え難い心の財産です。

 そうした思いを、被災者の力になりたいと思っている日本中の方々と共有したい。それが、この「小渕浜ふるさとプロジェクト」を始めようと思った切っ掛けです。そして漁師のみんなも、ただ支援を受けるだけじゃなく、支援者のみなさんと良い関係をつくっていきたいと考えていました。

 今はまだ、支援が必要な小渕浜の漁師達ではありますが、これからは被災者と支援者として向き合うのではなく、共に新しい日本を創っていく仲間として、同じ方向を向いて歩いていきたいと考えています。

 そして、ご支援を切っ掛けに、みなさんにもこのプロジェクトにご参加いただき、意見を交換しながら、できれば積極的に小渕浜にも来ていただいて、小渕浜を「もうひとつの故郷」と思えるようになっていただきたいのです。

 復興したら、漁師のみんなに、美味しい海の幸をご馳走になりましょう。小渕浜で乾杯しましょう。私は最初から、支援のお礼を言われるとこう言っていました。

「いやいや、あとでご馳走してもらうから」

 すると、みんな良い顔をして「もちろんだ」と言い、ここがいかに良い海かを自慢してくれるのです。

 このプロジェクトはみなさんと作っていくプロジェクトです。そして、多分に実験的な要素を持っていると思います。しかし、たくさんの方にご参加いただければ、小渕浜から何か新しい考え方、コミュニティのあり方などを発信していけるのではないかと思っています。

 皆さんのご参加をお待ちしています。よろしくお願いいたします。

 

小渕浜通信 代表 佐藤ゆきひろ

平成25年5月10日 更新

 

俺たちの小渕浜をみんなの小渕浜に

 3月11日の大震災で、私たちは多くのものを失いました。船、漁の道具、養殖の道具や設備、収穫前のワカメや牡蠣、家、そして家族を失った仲間もいます。 震災直後は漁業を辞めようと思った漁師もいました。しばらくは放心状態でしたが、時間が経つにつれ、やはり海に出たくなるのが漁師。

  今はほとんどの漁師が漁業の復興を目指して頑張ってきました。

 震災から2年が過ぎて漁師は、仕事をなんとか再開し国の補助により、一部負担はするものの船や漁具を手に入れる事も出来、仕事による収入を得る事が出来るようになりました。漁具などはまだまだ不十分な人はいますが、応援をしてもらう人にお金を寄付していただくことを望んでいません。自分たちが捕った魚や生産した海産物の加工品を消費してもらう事で、自分たちで復興していこうと思っています。

 そこで、小渕浜ふるさとプロジェクトでは入会金10,000円をいただいて、漁具や小渕浜の為に使ってもらい、お礼に海産物をお返しするのは、2013年4月30日をもって終了します。

  しかし震災から、2年が過ぎましたが、沿岸部復興は2年たっても震災当時と変わりません。沿岸部が元に戻るまでは、20年はかかるでしょう。多くの復興者は仮設暮らしですが、4年間で土地を貸している地権者との約束もあり仮設住宅での生活は後2年半と迫っています。もともと大きな家に大家族で住んでいた沿岸部の人達は、今までと全く違う狭い仮設暮らしによる疲労の蓄積や精神的なストレスもピークに来ています。様々な理由で、家族と別々に暮らしている人も多く、多くの人は「家族と暮らす家がほしい」と願っています。
 風評被害や放射能の海への流失による放射能汚染により、魚の単価は震災前の半分以下と、自力で復興を目指す小渕浜の漁師の苦難は続きます。

 そんな時に励みになるのは、みなさんからの応援です。

 小渕浜通信としては、みなさんに復興までの小渕浜の様子をHPを通じてお伝えしていきたいと考えています。新規で入っていただく会員さんは、入会金無料とします。

 

 ご支援を通じて、小渕浜を身近に、もうひとつの故郷のように感じていただき 私たちを「田舎のアンちゃん、おんちゃんたち」と思ってもらえれば嬉しいです。

 長くなると思いますが、復興までの道のりを一緒に歩んでください。よろしくお願いいたします。

 

 今後の企画としては、プロジェクトメンバーと相談して進めていきたいと思いますので、少しお待ちください。

 

平成25年5月1日

 小渕浜ふるさとプロジェクト実行委員一同

小渕浜通信・小渕浜ふるさとプロジェクト メンバー

後藤 幸市 ゴトウ コウイチ

数年前に新造した愛着のある船、自宅も全て流されてしまった。

面倒見のいい兄貴分的な存在で、自宅があった場所にプレハブを持ってきて作った作業小屋に漁師からボランティアまで、みんなが集まってくる。小屋の中はきっちりと整理され、几帳面な一面性格です。ハルトとは従兄弟。

漁としては、秋~春は、ナマコ漁(素潜り)、夏から秋は、ヒラメ漁

 

現在 小渕浜通信の代表代理 小渕浜ふるさとプロジェクトメンバー

後藤 晴人 ゴトウ ハルト

震災で一番大きな19tを含め、3艘あった船が使用不能になり、漁業倉庫と道具類も全て流されてしまった。被害総額は恐らくメンバー中随一。

怖そうな顔をしていながら、震災当時の話をするとホロリとしてしまう涙もろい一面もある、熱く優しい海の男。

 

震災後の漁は、ワカメの養殖、牡蠣の養殖

小渕実業団団長(2013年~)で、獅子をこよなく愛する。

小渕浜ふるさとプロジェクトメンバー

菅 貴志 スガ タカシ

牡蠣やワカメの養殖から漁まで幅広く営んでいたが、やはりその多くを流されてしまった。かろうじて津波に向かって出した船が一艘残った。

被災後、みんながそれぞれの避難所となる個人宅で暮らす中、いち早く自力でプレハブの仮設住宅を作ってしまった、バイタリティ溢れる男。メンバー中悪ガキ度ナンバーワン。

 

震災後の漁としては、ナマコ漁、ワカメの養殖、アナゴ漁

平塚 守宏 ヒラツカ モリヒロ

タカシくんと同じく牡蠣やワカメの養殖を行っていたが、道具、機械類全て流されてしまった。津波に向かっていった小さな船だけが残る。そして自力で作った仮設住宅に暮らしている。

会話の大半はオヤジギャグという、面白いけどちょっと困るという不思議な男。

 

震災後の漁としては、ナマコ漁、ワカメの養殖、アナゴ漁

菅 利行 スガ トシユキ

主にアナゴ漁を営んでいて、道具は流されたものの船は残った。漁業の再開にはメンバー中一番近いところにいるが、新築したばかりの家、作業小屋がきれいさっぱり流された。

物静かで、冷静に物事を考える。不思議なことに従兄弟のタカシとは正反対な性格。

そういえば、メンバー中唯一の独身。

河野 透 コウノ トオル

ダイビングショップ海潜隊の一人オーナー兼インストラクター 坂本龍馬が好きだったことから、龍馬の作った日本初の株式会社、海援隊から名前を模して、1996年に東京の板橋に海潜隊をつくりました。龍馬が海から日本を支援したという考えで、海援隊を作ったように、僕は海を通じて、たくさんの人との繋がりをお手伝いして行きたいと思ったからでした。

震災後、復興地の為に何かしたいと、石巻市渡波出身の自然写真家の高砂淳二さん友人だったこともあり、石巻に行こうと思い、海の仲間に呼びかけて支援物資を集め、4トントラックに積み、小渕浜に入り、それが縁で、小渕浜に通うようになりました。

ハルトさんの依頼で、津波で流された小渕浜の獅子頭を水中捜索したことから、プロジェクトメンバーに加えていただきました。

 

現在 小渕浜通信の事務局をさせていただいています。

 

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佐藤 敏博 サトウ ユキヒロ

小渕浜通信の発起人で前代表です。

 

仙台で自営業をしています。

全員家は見事なまでに全壊です。漁業の再開も手探り状態。それでもみんな明るいです。やっぱり自然と共に生きてる人間は強い。そう思う今日この頃です。

でもみんな、いわゆる漁師のイメージにある気が荒くて気むずかしい、なんてこともなく、全然普通だったりします。気の良いアンちゃんたちです。最近はもう、支援という感覚もなく、遊びに行っている感じになっています。

 

現在は、本業が忙しく小渕浜通信には、携われていません。