小渕浜の獅子舞復活プロジェクト

プロジェクト進行中!

 

 

【10/14 金曜日】悩む男達

 片耳とこぶの部分ができて、乗せてみるとだいぶ完成のイメージが見えてきた。ここまで来ると決めなくてはいけないのが眉の上の細工。これがどの写真を見てもわからない。そして誰に聞いても確かな記憶がない。丸いような形が3つずつあった、というようなことは写真を見ても微かにわかる程度。

 何度も何度も写真を見て、みんなで推察する。それでもやはり決まらない。それと、全体の形もこれで大丈夫か。やはりもっとたくさんの人に見てもらった方が良いということで、日曜日に小渕浜に持っていくことにした。

【10/7 金曜日】形が見えてきた!

 彫り始めて5日。目、鼻、口が大雑把に彫れて形が見えてきた。

 獅子は口が開く仕組みになっているが、普通はどうやって作っていくのか分からないので、全体を作ってから切り離すことにした。なので、獅子頭全体を整えていく。

 ハルトさんも耳に使う木を切り出す手伝いをする。

【10/3 月曜日】いよいよ木彫り開始!

 9月は粘土細工の微調整に時間を費やし、なんとか形を決定することができた。とは言うものの、どうしても「これだ!」という形にはならない。あれから写真も何枚か出てきて、今まで無かった角度の写真もあったが、いろんな角度があればあるほど分からなくなってくる。

 色が黒なので、細かいラインや細工が分からない。それでもなんとか、ああじゃないこうじゃないと落ち着かせるまでに1ヶ月かかってしまったという訳だ。

 まゆにあたる部分は何か細工があったようだが、これは最後までどうしても分からない。小渕浜の人達の確かな記憶もない。みんな「こういうことがあると思わなかったから、よく見てなかったなぁ」と口を揃える。

 そこで細かい部分は彫りながら調整するとして、いよいよ木彫りにはいることにした。

 まず、電気ノコギリで大まかな大きさに切る。それから、形をペンで書き、ノコギリやのみを使って彫っていく。横では、阿部団長とハルトさんが粘土細工を続ける。「こうだべ?」「んー、もっとこうじゃねぇか?」改めて、立体物の難しさを知る。

 結局この日は大まかな形を出すところで終了。あとはまた、柴田さんが毎晩のように作業を進めることになった。

 どれくらい時間がかかるか。5月に助成金申請を始めた頃には、まだまだ先だと思っていた正月が、もうすぐそこに来ている。

【9/2 金曜日】桐の木が到着!

 作業場に借りている「石巻工房」に、獅子頭の材料になる桐の木が到着。柴田先生とハルトさんが、製材所で切ってもらって持ってきた。

 その翌々日に、柴田先生に頼まれたクランプ(万力)とノミを届けに行ったときに撮影。意外と大きいまんま。これだと、彫り始めるまでの形を整えるのも一苦労かも知れない。

 ムスメ(7歳)と比べるとこんな感じ。

【8/24 水曜日】鳴子へ

 手先が器用で、小渕浜の獅子の幕を張ったり、ちょっとした修理をしたりしていた亀山さんというおじいさんがいて、仮設住宅に入居するまで鳴子の「農民の家」に避難している。恐らく、獅子に関しては小渕で一番詳しいはず。それなら見てもらわないとということで、柴田先生、阿部団長、ハルトさんと私(小渕浜通信 佐藤)で夜にお邪魔してきた。

 私が遅れて到着すると、早速作業が始まっていた。「ここはこうじゃないか?」「いや、いいんだ、こいづでいいはずだ」「それじゃこうですか?」そんな会話が交わされ、獅子の形が少しずつ変わっていく。

 亀山翁の記憶に触発されたのか、阿部団長とハルトさんの記憶もだんだん蘇る。そして、また少し、また少しと元の獅子に近づいていく。近づいて行くに従って、ハルトさんが興奮し出す。

「そうだ!そうだ!こうだこうだ!」

 だいぶ近づいてきたところで、ハルトさんが獅子の両頬を手で押さえながら叫ぶ。

「おい!おまえ!どごさ行ってしまったのや〜!」

この人は本当に獅子を愛してるんだなーと改めて思った。

 そして、ハルトさんがそう言うくらい復元ができたのだと思う。後は、彫りながら微調整でいけそうだ。

 面白かったのが亀山翁。獅子のこぶをだまって撫でている。撫でながら、「もうちょっと小さかったな」と言い出す。40年以上触ってたから、こぶの大きさや形が手に記憶されているのだ。

 さて、次は桐の木の入手。といっても、これは手に入れてある。柴田先生とハルトさんが製材所に行って、ちょうど良い大きさに切ってもらうことになっている。

【8/9 火曜日】進んでます

 代表を務めるNPOの活動で忙しい柴田先生。しかし、獅子はしっかり進めてくれています。

 ちなみに、そのNPOは、石巻こども避難所クラブ「にじいろクレヨン」という団体。避難所や仮設住宅の子供達と遊んでいます。

 心に傷を負ったり、生活が変わってしまった子供達。その子供達のケアは重要な課題です。ぜひ皆さんもご支援ください。

【7/30 土曜日】ああじゃないこうじゃない

 柴田先生と阿部団長、後藤副団長(ハルトさん)と石巻工房で待ち合わせ。粘土で制作中の獅子の形を修正する。

 とりあえず、飾り獅子を基にざっと形を整えた段階だが、やはり本物とは大きく違うというのが小渕の2人の話。写真と記憶を頼りに模索する。これがなかなか難しい。この部分を合わせると、ここが違うようになってしまう、という感じ。やはり最初から彫り始めなくて正解だと改めて思う。

【7/22 金曜日】ついに製作開始!

 柴田先生から連絡があり、いよいよ今晩から獅子頭製作の作業を始めるとのこと。作業は主に深夜になる予定。 
 早速、車を走らせる。現在、三陸道の利府中〜石巻河南は夜間通行止めになっているので、一般道を通って、作業場所として借りた「石巻工房」に午前1時頃到着。
 粘土の土台となる発泡スチロールを削る作業がだいたい終わっていた。そこから今度は粘土を盛りつけていく。盛りつけ終わったら形を整え、その後、小渕実業団のみんなと形の調整を行うことになる。
 翌日、といっても既に当日だが、23日からSTAND UP WEEKが始まる石巻2.0 http://ishinomaki2.com/ のスタッフ達もまだ起きて作業をしていた。
 青森出身で東京でデザイナーをしているIさんといろいろな話をした。彼もまた、個人で支援活動をしていて、石巻に集まる仲間達と出会った。
 みんながそれぞれ、自分のやり方で支援を続け、力を合わせていく。今、こうした力が、被災地には本当に必要なのだ。

【7/16 土曜日】五十鈴神社のお祭り(番外編)

 いよいよ五十鈴神社例祭の日。ちなみに、獅子舞の演舞はもともと無いので、これは番外編。

 神事は15日に済ませたので、16日は御輿渡御。しかし今年は御輿を担げる状態ではないので、仕方なく軽トラックに乗せての渡御となった。

 それでもお囃子に乗って御輿が通りかかると、残った家や避難所になっている納屋から人が出てきて、御輿と一緒に乗せた賽銭箱にお金を入れ、柏手を叩く。作業をしているボランティアさんたちも手を休め、写真を撮ったりしながら見送る。

 この日は朝日新聞の記者さんが獅子舞の取材で同行したのだが、瓦礫の中を進む御輿の様子に心打たれるものがあったようだ。私も感動した。
 この状況で、「今年はもういいべ」とならず、こうして開催された祭り。何百年も繰り返されてきた祭りは、それだけ人々にとって重要な行事で、それが瓦礫だらけになっても行われるということは、まだまだこの集落は続いていくという決意のように感じた。
 仙台市のメディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンターhttp://recorder311.smt.jp/」の取材班も来ていたが、彼らも一様に良かったと思ってくれたようだ。
 奇しくもこの日は仙台で、東北の各県の祭りを集めた「東北六魂祭」が行われ、東北の誇りを取り戻すという趣旨で予想以上の観光客を集めた。確かに経済効果は良かったかも知れない。しかし全く報道されなかった小渕浜の五十鈴神社例祭の方が非常に重い意味を持っていると、私は思う。

 例年なら御輿は神社に戻り、そこで小さな縁日となるが、今年は災害対策本部でボランティアさん達に炊き出しをしてもらった。
 そうめんに鶏の唐揚げやインドの揚げ物(なんていったかな)など、みんなが食べて、楽しんだ。外国人の大道芸人も来ていて、彼もまた楽しませてくれた。
 その間も朝日新聞の記者さんは、小渕実業団の団長、副団長に一生懸命取材をしてくれていた。
 メディアテークの取材班は副団長のハルトさんと私にインタビュー。恐らく、この日の映像と共に、メディアテークに残されるのだと思う。

【7/9 土曜日】太鼓の修理完了!

 この日、預けていた太鼓の皮の張替が終わって戻ってきた。15・16日の五十鈴神社の祭りに間に合って良かった。大太鼓は片面、小太鼓は両面の張替。陸前屋太鼓店のオヤジさんにバチもたくさん寄付してもらった。

 早速、新しい皮の太鼓を叩いてみるハルトさん。力一杯、しばらく叩いていた。なんだか少し胸が詰まった。
 太鼓の音を聞きつけて、近所の30代くらいの男がやってきた。しばし雑談を交わす。その人の帰り際の後ろ姿に後藤さんが声をかける。
「祭り、やっからな。良いんだべ?」
 少し笑って頷いたその人は、今回の津波で母親を亡くしたという。

【6/17 金曜日】柴田先生と会う&太鼓の修理

柴田先生
柴田先生

 獅子舞製作にご協力いただけることになった、画家で、牡鹿中学で美術を教え、避難所支援のNPO代表の柴田先生に会うために小渕浜へ。後藤副団長と小渕浜災害対策本部で顔合わせ。
 柴田先生に写真を見せ、状況を説明した後、製作方法について考える。今まで、小渕浜の獅子頭を真似て作ったものはあったが、どうも違うものになってしまう。製作者は彫刻を趣味にしている人だったり、大工さんだったり。
「いきなり彫り始めるのは難しいでしょうね。まず粘土で作ってみた方が良いと思います」
この柴田先生の意見には私もハルトさんも「なるほどー」と頷いた。粘土なら何度でもやり直すことができる。
 話の途中、頼んでおいた太鼓屋が到着した。古川の陸前屋太鼓店さん。水に浸かってしまった太鼓の皮の張替をお願いしたのだ。柴田先生も一緒に五十鈴神社へ移動。

 太鼓屋さんに太鼓の様子を見てもらうと、やはり張替が必要だとのこと。大太鼓はもちろん、やはり濡れてしまった小太鼓も。なので、両方とも張り替えてもらうことにして、太鼓屋さんのワゴン車に積み込んだ。7月の五十鈴神社の祭りには間に合うだろう。
 ちなみに、毎年7月15・16日に開催されている神社の祭りだが、今年も開催する方向で話が進んでいる。

 その後、再び柴田先生と獅子舞の話。
 実は柴田先生も石巻にお住まいの被災者で、家が流されてしまったため現在は居候の身。作業場がない。それならまず作業場を見つけて、そこで作業をしてもらおうということになった。石巻なら、先生は夜に作業が出来るし、私や後藤さん、阿部団長も見に行って形が確認しやすい。
 電気がないところだったら投光器が必要だとか、発電機が必要だとか話しているうちに、泊まる道具と酒も必要だなんて話になってくる。だんだん楽しくなってきました(笑)

 写真やビデオだけじゃなくて、サンプルがあるならそれも見たいということで、以前に伺った目黒さん宅へ。

 ご主人に獅子舞製作のために貸して貰えないかとお願いすると、「小渕の為なら」と快くお貸しいただいた。ありがたい。
 製作場所が決まったら作業開始だ。粘土を手配し、木も手配し、漆塗りの見積もりを取り…。ちょっと長い道のりになりそうだけど、やはり物を作るというのはワクワクする。

【6/17 金曜日】企業メセナ協議会様より助成決定

 アートや芸術の支援を行っている企業メセナ協議会様から30万円の助成金を頂きました!またひとつ前進です。

【6/16 木曜日】日本財団様より助成決定

 小渕浜の獅子舞復活のためにいくつか助成金を申請していましたが、本日日本財団様より100万円の助成金を頂きました!大きく前進です!取り急ぎご報告まで。

【6/12 日曜日】あたご荘の飾り獅子

 東松島市の奥さんの実家に避難している小渕浜実業団の阿部団長と、国道45号線沿いで待ち合わせ。獅子舞のこと、阿部団長の現在の状況などを聞きながら小渕浜に向かった。

 獅子舞に必要なのは、獅子頭に幕、太鼓、笛、衣装、三宝、幟など。獅子舞は流されたし、太鼓は片面が海水に浸かり張替が必要、笛も流されたし、衣装も恐らく半分以上は流された。揃えるのに 10時ちょうどに後藤副団長(ハルトさん)のいる6班に到着。塩釜で仕入れたカツオなどを差し入れし、日当たりの良い6班の玄関先でしばしひなたぼっこ。見つかったという写真を見せてもらった。少々古い写真で映りは良くないものの、なるほど、普通の獅子舞とはちょっと違う面構えと雰囲気が伝わってくる。

 それから、飾りにしていた獅子頭が残っているという民宿「あたご荘」へ。
 ちなみに、あたご荘のHPがここhttp://atagosou.com/index.html。震災前の小渕浜の様子が伺える。
 あたご荘で津波の被害を免れた獅子頭がこれ。

 「全然違うんだよなぁ」というのが2人の意見。まず、頬がこんなに膨らんでいないし、目もこんなに寄っていない。確かに写真と比べると、特徴的な頭の「こぶ」はあるものの、全体的に全く違う。ちなみに、頭の「こぶ」は単なるこぶではなく、神様を顕すものらしいが、記録が残っていないので定かではない。

 次に、浜の外れにある「五十鈴神社」へ。ここがこの浜の守り神。高台にあり、東北の浜にある典型的な小さな神社。神主はおらず、小渕浜実業団が管理をしていて、行事の際には祢冝さんを頼んでいる。ここがこの浜の信仰の中心だ。

 中には津波の被害を受けた太鼓たち。写真では何でもないように見えるが、倉庫の中で海水に浸かってしまい、皮がベコベコになってしまっている。貼り替えなければならない。

 ちなみに、各団員が持っていた笛もほとんどが流されて見つからず。

 次に向かったのは災害対策本部のテント。この日は栃木からボランティア団体が来ていて、カレーの炊き出しや物資提供をしていた。さらに、オープンした向かいのコンビニの駐車場にはピザーラの支援車。ピザを無料提供していた。あたりは非常に賑やかな状態。

 私も炊き出しのカレーとピザを頂きながら、本部にいた人達と雑談。そして獅子舞の情報収集。阿部さんが区長さんからなにかを手渡されて見ていたので何かと尋ねると、住民へのアンケートだった。毎年夏(7/15・16)に行われている五十鈴神社の祭りを行うべきかと、獅子舞を復活させるべきかの意見を集めたらしい。
 獅子舞に関してはほぼ全てが「復活させる」に○をしていた。小渕浜の人達が獅子舞について話す姿を見ていると当然だと思う。祭りも賛成多数で開催することになった。
 獅子舞の写真がもう一枚届いていた。正月に家々を回ったときの一コマ。こうした風習が江戸時代、もしかしたらもっと前から延々と続いてきたわけだ。

 ちょうど写真に写っているおばさんがいて、いろいろ話をしていると、なんと「ビデオもあるぞ」という。「なんだよ、それを早く言ってくれよ」と、思わずみんなで笑った。そういうわけで、これは近々届く予定。資料集めに大きく前進だ。

【5/29 日曜日】飾り獅子を見に行く

 小渕浜災害対策本部で、小渕実業団の阿部団長と、一緒にいた長老達と獅子舞の話をした。

 被害状況を確認し、必要な額をざっと見積もると、やはり100万から150万円くらい。私たちのレベルで、募金でどうこうなる金額ではないので、やはり助成金を申請しようという話になった。

 そんな話をしていると、「Mさんのところに飾りに作ったのがあるぞ。家は流されなかったから残ってるはずだ」という話が出てきた。そこで、阿部団長とそのMさん宅に。海抜10m前後の所にあり、なんとか被害は免れた。
 Mさんに話をすると、あるぞということで持ってきてくれたのがこれ。獅子頭を持っているのが阿部団長さん。これは木彫りを趣味としていたMさんの親戚が写真を見て作ってくれた物だという。

 確かに、珍しい形だ。顔は全体に平べったく、色は黒が基調。そしてなにより特徴的なのが頭のこぶ。しかし、こぶの位置が本来の物とは少し違う。もっと前にあったそうだ。それと髪の色も白ではなく黒だった。その他にも細かく違う部分がいくつもある。全く同じなら譲って頂くということも考えられたが、やはり作り直す必要がある。
 それでも、これはかなり参考になる。他に写真や映像が見つかれば、流されてしまった本物に近い物が出来るかも知れない。残っている家が数軒あるから、そこをあたれば何枚か見つかると思う。
 以前、テレビの取材もあったそうで、どこの局かは特定できなかったけど、探せば映像が残っている可能性もある。資料が揃えば、あとは製作できる人を捜すこと。Mさんの親戚はもう亡くなってしまった。存命ならもう一度と思ったのだが残念。ネットで調べると、京都や愛知で工房のHPがあったが、できるなら近くで、時々確認しに行けるところで作って欲しい。そうなると県内だろう。
 まぁ、しかし、なんとか希望は見えてきた。出来そうな気がしてきた。あとは細かく助成金を集めることだろう。